Passion/Onslaught

 




 酷く叩かれた傷が元で、俺はその後1週間程高熱にうなされた。

 理由はそれだけではないような気もしたけれど、俺の身体も精神も、随分と弱っていたのだと思う。
 眠っては苦しくて起きる事を繰り返し、そのたびに俺の側に居るレヴィオに時間だけを聞いた。俺の祈りは、祈らないと、今日の祈りは。そのたびにレヴィオが囁くのだ。
「俺が代わりに祈ってやる、どうしてもってんならお前の中にいるアルタナ様に祈れ」
 お前の心の中にもいるだろう、偶像は必要ないだろう。レヴィオはそう俺に囁く。
 俺は、今、自分の中の女神を見失っているのだと、信仰の行方を見失っているのだと気づいた。浅い眠りは、恐怖と痛みの記憶だけを繰り返し再生し、救いを求める先が暗闇のまま俺の意識は沈む。



「ちょっと、レヴィオどこへ」
 ようやく熱が引いて起きられるようになった俺を、レヴィオは部屋から連れ出した。
 やめてくれ、俺は自由に歩き回ることを許されてはいないのだ。いくらお前がいたからとて、見つかればただでは済まない。これ以上、痛い思いも、つらい思いもしたくない。
 俺は、籠の鳥でいい。
 だから、その手を、離して。
「いいからこい」
 抵抗する俺を無理矢理引きずって、レヴィオは階下へと降りていく。
「だめ、だめだ、レヴィオ」
 レヴィオは俺が一度も足を運ぶことを許されなかった聖堂の奥へ連れて行った。
 そこは荘厳な雰囲気とはかけ離れた、ただの小さな部屋だ。ただの裏口に過ぎない。扉を閉め、ご丁寧に鍵まで掛けるとレヴィオが振り返った。
「どうし」
 俺の言葉を遮ったのはレヴィオの唇だった。
 今まで一度も俺を抱かなかったレヴィオが、俺を引き寄せて口付けてくる。
 だから俺はとうとう抱かれるのだと勘違いして、修道服の襟を掴んで脱ごうとした。その手をやんわりと掴んだレヴィオは、ゆっくりと俺の顔に唇を何度も落とす。
 何が起きたのか、分からなかった。
 こんなに何人にも抱かれているのに、俺は口付けを知らなかった。初めて唇に感じた他人の柔らかい熱に、戸惑った。
 長い口付けが終わると、レヴィオはもう一度額に口付けた。


 そして、俺は数年間見たこともなかった、美しい緑の世界を、目の前にする。


 そっと背中を押され、俺は大聖堂を一歩、出た。
 そこは硬い石畳ではない。
 地面は柔らかく、俺の足を包んだ。
 そよ風が俺の頬を撫でて、日差しが全てを明るく見せていた。眼下に広がる、美しいロンフォール。
 戸惑いながら振り返ると、小さな革袋を手のひらに押しつけられる。
 硬貨が擦れあう金属音。

 此処までされて、分からない程馬鹿じゃなかった。

 別れの言葉などない。
 俺は革袋を握ると、レヴィオに背中を向けてロンフォールの丘を転がるようにして走った。
 振り返らない。全ての記憶とともに、俺は大聖堂に全てをおいていく。脳裏をサンドリアの家族のことがよぎったが、俺が逃げたことを知ればすぐに手は回されてしまうだろう。信仰という名の凶器の檻。誰がこんな馬鹿みたいな出来事を信じるだろうか。俺自身いまだ夢の中にいるようなのに。
 これから俺は自分のために祈る。
 疲れ果て、岩の間に身を潜めてもなお、振り返ることはなかった。握りしめた拳が震えても、噛み合わない歯が音を立てて震えても。俺は二度と振り返らない。
 不思議と、誰かが追いかけてくる恐怖はなかった。
 それでも、大聖堂から逃げるように、走って、走って。ただひたすらに。

 忘れろ。忘れてしまえ。


 ───全てを。
 鳥は、籠を飛び立つ。


 

 

 

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