Paint me Blood/Onslaught

 




 イリズイマの巨体が横たわるワジャーム。
 噎せ返るような血の香りが俺の身体にまとわりつく。それは誘いにも似た香りだ。じん、と鈍く響く身体の奥底で何者かが囁きかけてくる。
 ───喰らい尽くせと。
 とどめを刺した黒魔が最後に残った魔力を拳で握りつぶして息を吐いた。それが終了の合図だった。次々と緊張を解いていくメンバたち。数人が嬉々として倒れたイリズイマの皮を剥ぎはじめ、その様子を俺はただ見ていた。
「おい、終わったぞ」
 そうツェラシェルに手を重ねられて我に返った。指の色が変わるほど握りしめた剣の柄。慌てて剣を仕舞って礼を言うと、彼は怪訝な表情で顔を覗き込んできた。
 多分、まっすぐに顔を覗き込むのツェラシェルの癖だ。そんなことに怯えるなんてどうかしてる。彼は彼なりに心配してくれているのだから。この心の奥深くで渦巻く、屠って獲物を喰らい尽くしたいという欲求を見透かされたわけではないのに。
 人間、動けば腹が減るように、魔の力を解放すればするだけ飢えは増していく。ここ最近ずっと押さえつけてきた欲求。濃い血の香りが、指に残る肉を断つ感触が俺を拐かしていく。
「お前、目の色が」
 耐えられない。
「ごめん、吐く」
 口元を押さえて見せてとにかくリンクシェルのメンバから離れるように草むらをかき分けて走った。背中にかけられるツェラシェルの声からまるで逃げるように走る。
 追いかけてくるな、頼むから。
 気配が途切れた感覚に、走りながら目の前にいたコリブリに手を伸ばした。
 なんでもよかった。なんでもよかったんだ。この飢えを、この渇きを癒してくれるなら。
 絡め取るようにコリブリを掴んでその柔らかい腹に喰らいついた。小さく響くコリブリの甲高い悲鳴。骨付き肉を喰らうかのように引き裂いて、その肉を、その血を啜る。
 止まらない衝動。そしてじわじわと拡がる高揚感。
 飢えは正気を失わせる。口の周りが、喉が、胸がコリブリの血で染まっても気にならない。少しだけ苦くて、臭みのあるコリブリの血肉が、臓物が、まるで染みいるように身体の中心へと吸い込まれていく気がした。
 喰らってしまった、という後悔は、もうない。あるのは満たされた充足感。そして、身体の中で燻る熱だけだ。
 だけど掛けられる聞き覚えのある声で急激に現実に引き戻される。昂ぶっていた身体から、音を立てて熱が引いていく、そんな感覚だった。
 名前を、呼ばれる。
 カデンツァ。
 そうだ、俺の名前。俺の名前だ。魔物じゃあない、人の俺の名前。時折忘れそうになる人の名前。
「…おまえ」
 振り返った先にいるのは見覚えのある白い羽のついた帽子。滲んだ視界に鮮やかに映る真っ赤なタバード。
「いや、ごめ、青魔道士がどうしてるかとか、知っては」
 弱々しい声。
「だから、なに」
「ごめ、ん」
 ツェラシェルの周りを覆う見てはいけないものを見た、という後悔の色。
 知っていて追いかけてきた癖に。俺のこと、何も知らない癖に。
 引き裂いたコリブリを投げ捨てて立ち上がる。いつもこうやって、襲ってくる魔物を切り捨てているじゃあないか。何が違うんだ。俺とあんたで何が違うんだ。
 一歩、ツェラシェルに近づくと彼は一歩後退った。
「逃げるんだ」
 何が放っておけないだ、何が一緒に戦うことが出来るだ。
 わかりきっていたことなのに、何故か瞳の奥が熱くなった。
 突然唇に手を当てた彼は、俺の目の前で胃の中のものを全て吐き出した。正常な反応だと、思う。これが一般人の、俺のこの姿を見た反応なのだ。
 膝を付いたツェラシェルの前で跪く。顔を上げたツェラシェルの頬を掴んで持ち上げた。小さく呻いたツェラシェルの唇は吐瀉物で濡れ、唾液が唇の端から顎に伝うのが見えた。
「あんたも、ずっとこうしたかったんじゃないの?」
 寄せた唇。驚愕に開かれたツェラシェルの翡翠の瞳。

 重なるのは血濡れた唇。



 

 

Next