Lie/Onslaught

 




「あらぁ、カデンツァ酷い顔ね」
 そう僅かに嬉しそうに声を掛けてきたのは、タルタルの赤魔道士ルリリだ。
 俺は白門の階段に座り込み、壁に身体を預けるようにして痛む顔をルリリに向けた。満身創痍なのは、先ほどまで新種の獲物を文字通り喰らいに行っていたからだ。
「また負けたのぉ?」
「うるさいな」

 俺は青魔道士。
 この国に渡るまで、人様には大っぴらに言えないような酷い生活をしていた俺にとって、力や権力への渇望は凄まじいものだった。空腹と怪我で明日をも知れぬ俺に、力が欲しいかと尋ねてきた男。怪しいとか、そんなこと考えるまでもなく、俺は頷いていた。
 待ち受ける未来が、どんなものかも知らずに、だ。
 正直身体の中に何を埋め込まれたか、未だに分からない。だが、埋め込まれたそれは、俺の身体と同化しながら全てを喰らい尽くせと俺に囁きかける。魔物を屠り、その血肉を喰らい、力を得つつ生きながらえる。それは既に人としての何かを失ったと俺は思う。事実、このまま喰らい続ければ、いずれは人あらざる姿に変容するのだ。それは安易に力を求めた者の末路だ。
 それでも、俺はまだ今日も生きている。
 死にたくないから掴んだその手は、地獄への片道切符だった。渇望したのは自分自身だし、恨んではいないが、もうちょっと説明してくれてもいい気もする。
 定期的に襲ってくる飢えは、簡単な食事では収まらない飢えだ。
 この飢えを凌ぐためには、文字通り、喰らう必要がある。生きるもの全ての、死ぬ瞬間の強い何か。俺は心臓が好きだが、肝が好きなやつもいれば、はらみだのミノだのマニアックなやつもいる。何処に魂が宿るかなんて考えた事はないが、俺たちはそんな生き物の魂を啜って生きる、ある意味モンスターだ。

 前置きが長くなったが、そんなわけで、俺は新しい力を求めに行って先ほど玉砕してきたばかりであり、いつも俺に敵意をむき出しにするタルタルの赤魔道士に辛辣な言葉を浴びせられているわけだ。
 もう一つ説明がいるな。
 この赤魔道士のルリリは、俺と彼女と同じLSに所属する赤魔道士のエルヴァーンにぞっこんだ。今時ぞっこん、とかいう言葉もどうかと思うがこれ以上の言葉が見あたらない。
 そして、色んなお約束通り、彼女の好きな赤魔道士は色恋に興味もなさそうで、これまた何故かこのどうしようもない地味な青魔道士のことを何かと気に掛けてくれるのだ。
 そのせいで、彼女の俺に対する扱いは酷い。
「耳、ちぎれかけてる」
 さすがに酷い状況なのは彼女も見て分かってくれたようだ。目の前でため息が聞こえた。
 爪を避け損ねたときに、ピアスに引っかかったのだろう。
「大丈夫、もうちょっと魔力回復したら自分で治す、し」
 あと、多分ほっといても治る。そう言いかけてやめた。
 人のように見えて、そうでないのは、きっと彼女には分からないだろう。
「別に心配なんかしてないけど。そんなこれ見よがしにされたらまたツェラ様が大丈夫、手伝おうかって言い出すじゃない」
「からっけつなんだよ」
「うるさいわね、見たら分かるって」
 おざなりに掛けられるケアルに安堵のため息。正直、ダメかと思うほど身体は疲弊していた。
「ルリリ、ごめん俺あんま相手でき、な」
 まずい。
 目の前がぐらりと揺れて、そのまま階段に倒れる。やばいと思う間もなく、ルリリの短い悲鳴だけが耳に届いた。倒れる、と思ったのもつかの間、俺の身体はエルヴァーンの逞しい腕で抱きとめられていた。
「ツェラ様」
「大丈夫か、カデンツァ」
「あ、あぁ、悪い」
 柔らかなバリトン。
 白い羽が風に揺れる。赤魔道士。ルリリの思い人。ツェラシェル。
 俺の身体を背中側で支え、翡翠の瞳が呆れた様子で見下ろしている。
「こんなところで倒れるくらいなら部屋へ戻れ」
「あ、いや。ごめん、血が足りなくて」
 立てませんでした、なんてルリリの前で屈辱的な状況を説明する羽目になる俺。
 ああ、ルリリが口元に手をあてて笑いを堪えてる。魔力もからっけつだったせいで立てなかったのだ、とは今更言えそうにない。
「酷い怪我だな、いつでも手伝うから声かけろっていったろ」
「うん、まあ。ほら、とりあえず頑張るからさ、ダメだったら頼むよ」
 なんでこんなルリリの視線を気にしないとダメなのか。
「とりあえずお前のレンタルハウス、どこか言え」
 そう言うと、ツェラシェルは俺の身体を軽々と抱き上げる。
 ルリリの見開いた目と視線があった。いいじゃない、俺男なんだから。と、思うものの、公衆の面前で姫抱きは本当に恥ずかしい。だけどツェラシェルは本気で俺の心配をしているので何も言えない。こっそりとレンタルハウスの住所を伝えると、ツェラシェルは早足だが優しく俺を運んだ。
 ルリリさん。これは不可抗力であって。
 な、お前も貧血で倒れたら同じ事して貰えるって。
 な?だからそんな目でにらまないでください。

 結局俺はレンタルハウスに着く前に気を失い、朝までツェラシェルに看病させる、という荒技をやってのけた。
 恨み言の詰まったメッセージを読むのが怖い。



 1週間後、すっかり体調の整った俺は似たような境遇の青魔道士が簡単なツアーでも組んでいないかと白門へ繰り出した。滅多に誘われない俺の特等席は、噴水を見下ろせる二階席。
 この辺で大体みんな似たような目的の連中を募って出かけていく。所謂、シャウト待ちだ。
 そんなうまいはなし、転がってるわけないよな、と小一時間程度であきらめようとした頃。俺にとっては天敵とも言える凶悪な赤魔道士のタルタルがこちらに向かってやってきた。
「元気そうでなによりだわ」
「どーも」
 メッセージ全部よんじまったぜ畜生。なんて言えるはずもなく、俺は挨拶を返す。
 こいつはこいつなりに必死なんだよな、と思えば可愛くも見える。かもしれない。とばっちりはごめんだが、LS内部でも狙っている連中が多いツェラシェルだ。愚痴のひとつくらい言いたくなるのも分かるし、ルリリにとって俺はそういう相手なんだろう。
「もう、大丈夫なの?」
「お陰様で」
「そうよね、ツェラ様に、朝まで、看病して貰ってまだ不調とか言わないでよね」
 やたら強調するが、不可抗力だ。
 それに俺は気を失っていたわけで、目が覚めたらツェラシェルが部屋にいただけの話だ。まあ、帰るに帰れない状況だったのは想像もつくし、悪いことをした自覚はあるんだが。
「それでね、今日は耳寄りな情報をもってきてあげたの」
「何か欲しいものあるの?」
「失礼な人ねー」
 小さな手を腰に当てて怒るルリリ。こうやってみるとタルタルとは愛らしい種族だと思う。小憎たらしいが。
 俺も俺でルリリとこう見えて仲良くやってるんだと思う。職業柄人の輪の中に溶け込むのが苦手な俺だけど、ルリリやツェラシェルは普通に俺に接してくれて、こうやって何かと気に掛けてくれる。最初はLSなんて、と思ったけど、これもいいもんだな。
「あなたの次の獲物、ノールなんでしょ」
「そうだけど」
 ルリリは得意そうに胸を張る。
「ジャグナーの西に小さな湖があるでしょ、あそこに行ってごらんなさい。満月じゃないとダメなんですって、今日が丁度満月よね」
「ほんと?」
 聞いたこともなかった情報に俺はただ浮かれた。
 ありがたい、今度こそ新しい力を手に入れられる。これで不味いコリブリの心臓ともおさらばだ。待ってろ、ノール。すぐに俺がその心臓を喰らってやる。
「ありがとう、ルリリ」
「まあ、試練だと思って頑張るのね」
「うん、行ってくる」
 俺はすぐに出立の準備を整えてルリリに手を振った。
 いつもは倒れちゃえ、とかすぐに言ってくるルリリが、そのときはやたら心配そうな目で俺を見ていたその理由を、俺は後で知る。


 過去のジャグナーを一人で歩くのは、実はちょっとだけ怖い。
 現在よりも混沌としている上に、ここはオーク軍が駐屯している時代だ。街道も整備されていなければ、所々にオークたちが作ったバリケードが存在しており目的地にあっさりと到着することができないのだ。
 以前はこの手前側にいるノール相手に瀕死に追い込まれ慌てて逃げ帰った。さらに奥ということもあるが、やってみてダメなら誰かに頼もう。そんな気分で進んでいくと、眼下に見えるのは二足歩行のノール。
「なにこれ」
 思わず呟いた。
 闇の軍勢が率いる人狼だという話は聞いたことがあったが、二足歩行するだなんて聞いていない。しかも、俺がやっていたノールよりも一回り、いや二回りほど大きな個体だ。
 薄暗くなる周囲。眼下に見える数匹のノール。
 騙された、と気づくには遅すぎた。くそ、ルリリめ。大体、人狼で満月といえば最悪の組み合わせじゃないか。話を聞いたときに疑わなかった俺も悪いが、ルリリもきっと軽い冗談のつもりだったのだろう。俺が疑わなかったから、ルリリも嘘だと言い出せなかったのだ。
 物音を立てないようにそっと生い茂る草むらに身を隠す。
 朝まで何時間あるんだ。
 俺、生きて帰れるかな。
 そんなこと考えていたら、いきなり携帯端末が音を立ててテルの着信を伝えた。
 当然のように、数匹のノールがその音に気づいてこちらを見た。
「あぁ…」
 喉から絞り出すように声が溢れた。
 俺が喰らうんじゃない。俺が、喰われるんだと本能が悟った。
 無情なテルの音。飛び込んでくる悲痛なルリリの声。

 行っちゃダメ。そこはとても危険なの。あたし嘘ついたの。ごめんなさい。返事して、カデンツァ。

 きっとルリリは不可抗力でもツェラシェルに姫抱きされた俺にちょっとした意地悪のつもりだったのだろう。何も考えずこんな場所にのこのことやってきた俺がバカだった。
 足が竦んだ。
 何故ここまで恐怖するのか分からないほど、近づいてくるノール2匹に俺の身体は動かない。逃げられる距離はとうに過ぎた。数歩後ずさり、なんとか腰の曲刀をかまえる。何度なく修羅場をかいくぐってきたはずだ。
 震えるな俺の脚。
「喰われるってこんな気分なのか」
 爪が。ノールの爪が。
 腕を伸ばし、喰らった魔物の力を解放させる。瞬間的に形を変えた俺の腕は、鋭利な刃物となってノールを一瞬怯ませた。腕はすぐに元通りだ。人として死ねるだけ、もしかすると俺は幸せなのかもしれない。
 後方のノールが飛びかかってくる。思った以上に動きが速い。後方のノールに気を取られ、目の前のノールの爪をまともに受ける。深々と脇腹を抉ったその爪からしたたる血が、俺の頬に飛んだ。
 俺の血。
 それは深紅で人のものだと安心させられるのだ。
 叫んだ。力の限り。
 1匹も2匹も、3匹も変わらない。足掻いて藻掻いてやる。
 振り下ろした曲刀が爪で弾かれて、その隙にノールの爪が俺の首を薄く切り裂いた。
 肩も、腿も、胸も。頬も。致命傷に至らない傷だけが増えていく。だけどその傷たちは、俺の体力を奪うには十分すぎて、曲刀をふるう腕が重たい、と思った時には膝がついていた。
 ここまでか。
 足を取られ引きずり倒される。装束が無残に破れ、むき出しの太ももに爪が食い込んだ。
 無様は悲鳴があたりに響く。
 喰われるのだ。俺が。この、俺が。
 生きたまま、だ。
 今まで、俺自身がやってきたことを、今度は俺がされるのだ。
「ちくしょ…」
 思えば酷い人生だった。
 それでも、この国に渡ってきてよかった。
 ルリリや、ツェラシェルと逢えて、よかった。
 涙が目の端を伝っていく。
 ごめんな、ルリリ。俺のことなんか気にしないで忘れてくれ。
「って、ああぁぁぁ!」
 突然の痛みに思わず仰け反った。
 目を見開いて痛みのほうに目を向けると、ノールが俺のケツにそのでかいブツを無理矢理押し込んでいた。
「うあ、ああ!」
 太ももを抱えられ、裂けるような痛みに身を捩る。体中が痛むせいで逃げようにも力が入らない。腰を引き寄せられて、あり得ない容量のものが俺の身体の中に入り込んでくる。内臓が一気に押し上げられて、口から心臓が飛び出るかと思うような圧迫感。
 遠い昔に味わった屈辱の感覚。そして、鋭い痛み。
 ノールの荒い息づかいが耳元で聞こえた。太い毛に覆われた腕が俺の身体を押さえつける。
 なんで、こんな。
 殺す前に、内臓も味わおうっていうのか。
 止まらない涙が土に落ちて染み入っていく。俺の血を大量に吸った土は赤黒い。
 脚を抱えられ、うつぶせに押さえつけられると、文字通り獣のように犯される。
「ひっ、あ、いうっ」
 痛みを逃すための声が喉から漏れた。
 内臓の内側を擦っていく感覚に背筋が凍り付く。
 血を失いすぎた。ぼやけていく痛みに、遠くなっていく音。そんな暗闇から無理矢理引きずり出すかのように髪の毛を掴まれて上を向かされた。
 ああ、もう一匹いたっけな。
 慣れた感覚に口を開いてみせると、顎が外れるかと思うようなブツがねじ込まれた。
 殺さずに楽しむならもう少し遠慮しろ、と思うが言葉を理解しないであろうノールに何を言っても無駄だろう。口の中に突っ込んだら、ノールは髪の毛を掴んだまま激しく喉の奥へと腰を突き出した。
 知らないと思うけどな、ケツに突っ込まれて激しく動かれてる時に、同時に口に突っ込まれると苦しくて死にそうなんだ。
 さすがの俺でも獣人からイラマチオとか初めてだってば。頼むから、俺が死んでも全部食べてくれよ。こんな姿で発見されたりしたら、死んでも死にきれない。
 せめて、ルリリには。彼女には見て欲しくない。きっと彼女は自分を責めるだろうから。
 ぼうっとする頭でそんなことを考えた。
 痛みが、消えていく。
 体温が、なくなっていく。
 指先の感覚が、ない。
 それなのに、ノールの熱が身体の奥深くを穿つのだ。
 いつしか降り出した雨が身体を冷やし、僅かに残った体温すら奪っていく。
 目の前で揺れる髪から、一滴。
 薄赤い雨が、地面に滴り落ちた。
 ああ、目の前が霞む。

 ここまでだ。
 バイバイ、くそったれな俺の人生。

 目を閉じたのか、もう何も見えなくなったのか、暗闇に閉ざされた視界。
 その遠くで魔法の輝きが見えた。
 


 鋭い痛みで我に返る。
「いってぇ…」
 何処が痛いのかさえ分からないほど、ありとあらゆる場所が痛んだ。
 呻いた唇にそっと指を置かれる。状況を理解出来ず、濁った視界がまともになるのを待った。
 その間中、俺の頭を優しく撫でてくれる指。どこかに寝かされているのだというのは分かったが、それ以外は記憶もあやふやだ。ノール相手に。ああ、畜生、思い出した。
 ここはどこだ。何故生きている。ノールは何処へ。
 徐々にクリアになっていく視界に、形を持つ赤いタバード。
「ツェラ」
 再度唇に指を置かれた。これは喋るな、という合図か。
 僅かに安心したような笑みが、ツェラシェルの薄い唇に形取られた。
 じっと見つめると俺の傷だらけの手を取ってツェラシェルは指先に口付ける。そこから感じる温かな魔法。
「ここは大丈夫」
 その瞬間、生きてることを知った。
 こみ上げる何か。溢れそうになる何か。
 まだ感覚のない腕をツェラシェルに伸ばした。
「おい、まだ動く、な」
 ツェラシェルの温もりを確かめるように、指先を頬に当てた。再び滲んだ視界。
「俺、生きてる」
 泣き出した俺を、ツェラシェルは優しく抱きしめてくれた。
 


桃砂塔様アップロード 2008.03.23

 

 

end