Innocent/Onslaught

 



 珍しくルリリが文庫本を読んでいたから、珍しいねと声をかけた。
 活字が苦手だという彼女は、冒険者の間で流行のタブロイド紙すら読まないで有名だったから、気になったのだ。何を読んでいるの、と聞いたら、彼女はかわいらしい小さなしおりを挟み込んで本を閉じると、俺の目を見て小声で言った。
「内緒よ」
 小さく立てられた人差し指が唇に寄せられる。
「この間ツェラ様が読んでたの、だから私も読んでみようと思って」
 差し出された本を手にとって、頁を開く。
 そこに綴られていたのは、ある少女の恋愛物語。
「凄い顔をしたわね」
「いや、だって、ツェラシェルが?」
 彼女ははぁ、と小さくため息をついた。
「似合わない?それって残酷な言葉だわ」
 そう言われて口を噤んだ。
 似合わない、と思ったわけではなかったけれど、意外な趣味だなと思った事は確かで。どちらかというと人に囲まれて、色々と話題の中心になることの方が多いツェラシェルだ。読書という雰囲気には程遠い。
「わたしにはさっぱり分からないのだけど、この主人公の女の子の気持ち。でも一つだけ分かるの」
 そこで言葉を止めたルリリは、じっと俺を見上げた。
「どうしても手に入らないなら、自分の手で壊してしまいたいと思う気持ちは、わたしにもあるわ」
 やらないけどね、と続けてルリリはようやくそこで笑った。
 あなたも読む、そう言われて、何となく頷いた。俺もあまり活字とは縁がない生活をしているけれど、時間だけは残念ながらたっぷりとあるし、募集の待ち時間に読むには丁度いいかもしれないと思ったのもある。
「今丁度読み終わったから、貸してあげる」
 差し出された小説を手にとって、ルリリに礼を言った。
 彼女はよく見ている。ツェラシェルの事を、驚くほどよく見ていると思う。うわべだけじゃなく、中身を知っている。俺は相手を深く知るのが怖い。踏み込むのは、踏み込まれることと同じだ。知られたくない心の奥の奥まで暴かれる。それが怖い。
「貴方はもう少し、上を向きなさいな」
「君と喋ってたら下を向くよ」
 ルリリは大きく肩を震わせて笑うと、貴方は可愛いのだからもっと笑うのがいいよと言った。俺のことを可愛いだなんて言うのはルリリくらいで、いつも俺は戸惑ってしまう。困ったような顔をしたのが分かったのだろう、ルリリはしゃがんでいた俺の額に小さな手を当てた。
「貴方には笑っていて欲しいの、ツェラ様がそれを望むから」
「ツェラシェルが?」
 ルリリは頷くと、俺の額を叩いた。軽い音が聞こえて、ルリリが笑う。
「あの人は、貴方のことをとても心配しているのよ」
 頬に添えられた小さな小さな手。それが少しだけ震えた。
「お願いね、あの人を」
 言葉に詰まった。
 俺は。
「うん」
 彼女の言葉の意味を真に理解することなく、俺はその時、そう頷くほか、なかった。
 ルリリに借りた恋愛小説は、俺には全く理解出来なかったけれど、なんとなく彼女の言ったことは分かった。
 読み終えて、ツェラシェルはこういうのを読むのが好きなのか、と少しだけ可笑しくなる。笑ってはいけないのだけれども、言ってはいけないのだけれども、そんな素振りなんてなかったから彼自身もまた周りには言いにくかったのだろう。彼の趣味をどうこうと言うつもりはないけれど、やっぱり似合わないな、と思ってしまうのは、俺自身がツェラシェルという人物のことを全く理解していないからに他ならない。
 逆に言えば、ツェラシェルだって俺のことをどこまで知っているのか。
 正直、俺の何処が好きなのか分からない。外見なのか、それとも短い期間で知り得た部分なのか。それなら、その部分は俺を形成している何割だというのだろう。残りの部分を知って、愕然としたりしないのだろうか。
 好意は嬉しい。だけど、その好意の先にあるものは何だ。
 ”愛の言葉を囁くのは、その後がお目当て”そう、言ったのは誰だったか。結局の所、行き着くところはそこでしかない。ちょっと変わった毛色の俺に、興味本位で手を出してみたかっただけだ。
 好き、ってなんなんだろう。
 俺は、どうするべきなんだろう。
 俺にはツェラシェルが分からない。

 

 

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