Cloudy Misfortune/Onslaught

 



 封魔堂方面では水の将軍が、逆側では土将軍が、それぞれ傭兵を伴って繰り広げる殲滅戦。
 戦渦を避けて崩れそうな外壁にもたれかかって蹲る傭兵たち。衛生兵として駆り出される、経験の浅い白魔道士や赤魔道士たちが声をかけながら癒しの魔法で彼らの命を繋いでいた。
 こんな戦争、何になるというのか。
 風の将軍が守る区画に入ると、既に増援部隊が到着しており、孤立してしまった小さな部隊がじりじりと後退を続けていた。必死に戦線を維持しようとする白魔道士、祈るように腕を組み、僅かに残った魔力を仲間の癒しに費やすのが見えた。
 俺一人が行って状況が変わるならいい。だけど、俺一人の力など、目の前のマムージャ達には到底及ばない。結局俺が行ったところで、彼らの部隊が倒れていくのは時間の問題だろう。行けば、俺もまた、彼らと同じように地面に這いつくばることになるのだ。
 彼らの安否を目で追いながら、行くべきなのか迷ったその瞬間だった。
「ナジュリス将軍エリアに増援多数、救援求む」
 聞き慣れた声が響いた。
 そして、声の主は向かい側の階上から手すりを乗り越えて階下へと飛び降りる。抜き身のままの曲刀を着地と同時にマムージャに突き立てて身体を弓のようにしならせると、流れるように腕が、指が、ザッハークの印を空中に描いた。凝縮された魔力が解放される瞬間の、独特な感覚がここからでも分かる。そして、この感じは、間違いなく。
 カデンツァ。
 突き刺さったままの曲刀を抜かずに蹴り飛ばすことで手に戻し、カデンツァは誰かを待っているかのように二階を見上げた。ややあって視線の先、手すりから身を乗り出した男がクロスボウを構えると、カデンツァの側にいたマムージャの目を発射されたボルトが貫いた。
 見覚えのある赤い髪の男。
「無茶しすぎだ」
 ────彼を見上げてカデンツァは笑った。
 すぐに男もカデンツァを追って階下に飛び降りると、その手に持った短剣で、鮮やかに先ほど目を貫いたマムージャにとどめとなる一撃を放つ。滴った血を払い、顎でカデンツァに何かを促すと、二人は何か言葉を交わし、通路の先へと走っていく。
 ただ二人の背中を目で追うだけの俺の前で、救援の伝令を聞いて手空きの傭兵達が数名援護に駆けつけたのが分かった。孤立していた部隊は先ほどのカデンツァ達の奇襲と、援護に駆けつけた傭兵のお陰で持ち直したようだった。
 俺は何をした。
 ただ見ているだけで、最初からダメだと諦めて。
 孤立していた部隊の白魔道士が、青ざめた顔色のままではあったが安堵のため息を漏らし、目を閉じて祈りの言葉を口にした。

 居たたまれずに、その場を逃げ出した。
 二人を追うことも、蛮族軍と戦うことも出来ず、彼らとは逆の方向へと走った。ただ走った。何処をどう走ったのか分からないまま、いつもは開いているはずの通路の扉に手をかけて肩で息をする。
 前線が崩れ、市街戦が始まると、アルザビ市民を守るため人民街区への扉は堅く封鎖されるのだ。何処へ行こうと、今この警戒態勢の中、この煉獄から出ることなど叶わない。
 分かっているのに。分かっていたのに。
 込み上げてくる何かを必死で堪えながら、呼吸を整え扉にしがみつく。
 出してくれ、ここから。

 いつしか降り出した雨が、頬を伝って顎へ流れた。
 睫毛に溜まったのは、雨か、───それとも、涙か。


 

 

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