Affection/Onslaught

 



 数時間前に使ったままのバスルームはまだしっとりとしていて、コックを捻ればすぐに湯が床を叩く。
 バスタブに湯をためつつ、お互いの汗を流しあった。スポンジに取ったソープを泡立てて、指先、爪の先まで丁寧に洗ってやると、カデンツァがじっと俺を見上げてくる。
「次の相手も、あんたがいい」
 次の、相手。
 その意味するところを理解して、思わず項垂れた。
 こうして丁寧に洗って綺麗にして、カデンツァは別の誰かに供物のように捧げられていた。バスタブに花を浮かべたり、オイルで香りを付けたり、着替える服は同じでも相手の好みに合うようにと、そう指示されていた。
 カデンツァが差し出されるのは、なにも大聖堂の修道士たちだけではない。外部の要人と言われるような、神殿騎士の上層部の偉い人だったり、王立騎士団員だったりもした。それら全てはアルノーが自身の出世の為に策を講じたものであったが、向こう側としても大聖堂との繋がりを深く持ちたかった、という両者の利害の一致がカデンツァの不幸を産んだ。
 そして俺は、色々な理由があったとはいえアルノーの言うままにカデンツァを着飾って、今から何をされるか、どんなことをされるか理解しながらもカデンツァを差し出し続けた。
 重たい、言葉だった。
 俺以外、誰が居るって言うんだ。そう軽く返せばいいのに、唇はその言葉を紡ぐことはなかった。
 背中から抱きしめて、言葉にならない思いを両腕に込める。
「俺、今おかしいから」
 抱きしめた俺の腕をそっと手にとって、カデンツァは言った。
「普通のときに、また、して」
 ちゅ、と腕に唇が押しつけられてすぐに離される。
「気持ちよくして」
 うん。分かった。あぁ。もちろんだ。
 どれも声にならない。抱きしめる手に力を込めて、カデンツァの項に額を擦りつけた。
 泣いてばっかりだ。こんなにも泣いたのはどれくらいぶりだろうか。
 気持ちよくする。したい。苦痛ばかりじゃないんだと、確かに満たされる瞬間があることを伝えたい。
「無理にしなくても、いいんだ」
 無理に身体を繋げる必要はない。
 大事にしたい。大切にしたい。優しくしたい。
 身体ではなく、心のどこかで繋がっていればいい。うまく言葉には出来ないが。
「いいんじゃないかな、気持ちいいなら」
 俺あんたの気持ちいい顔見るの好きだ、そう言ってカデンツァは笑う。
 こんな笑うカデンツァを知らない。楽しそうに笑うカデンツァを見たことがなかった。あの6年、カデンツァにとって心の底から笑えるような事は何一つなかったのだと思い知った。
「昔のことばかり、思い出してるだろ」
 抱きしめた腕を噛まれて、ごめん、と謝った。
「俺は今前を向いていて、真っ直ぐ前だけ見てる」
 カデンツァが目の前、真っ直ぐ先を指さす。目を向けてもそこにはバスルームの壁しかなかったが、言いたいことは伝わった。そこに拡がるのはクリーム色の何もない壁だけなのに、何故かそこから目が離せない。
「あんたも同じ場所を見てくれてると思ってるのに、レヴィオと言えば後ろばかり見てる」
 最後は冗談めかして、ため息と笑み混じりに。
 そしてカデンツァはゆっくりと俺を振り返ると、その大きな目で俺を真剣に見つめた。
「振り返れば、俺にはあんたが、あんたには俺がいる」
 そっと頬に添えられた指先が滑っていく。
「ね?」
 僅かに首を傾げて、カデンツァの唇の端が上がった。
 振り返って、わざわざ遠くに置いてきたものを見る必要はない。捨ててきたものを目をこらして見る必要もない。ましてや、何処に捨てたか思い出す必要もないのだ。
「一緒に生きてくれるんでしょ」
 頷くしかなかった。
 愛しくて、愛しくて仕方がない小さな身体を再度強く抱きしめて頬を擦りつける。
 でもきっとこれは一般的な愛でも恋でもなかった。かといって同情でもない。別たれた半身と再び巡り会ったような感覚だった。もう離すまいと強く抱き締めた身体はゆっくりと俺にもたれ掛かる。
 雨のようなシャワーが、俺とカデンツァを濡らしていった。
 その雨は、あの日のように冷たくなどなく、わだかまりや、何年もこびり付いた記憶を洗い流していく。氷のように尖ったカデンツァの心も、またゆっくりと溶けていく気がした。
 暫く無言でお互いシャワーに打たれ、そして衝動的にお互い唇を貪りあった。
 この複雑な感情を一言で言い表すことは出来ない。
 陳腐だと分かってる。似て非なるものだと分かってる。だけど言う。何度でも、繰り返す。

 

 愛してる、カデンツァ。


 俺の全ては、お前とともに。
 愛してる。