Here, there and everywhere/Heaven

 

 


 喉を仰け反らすことで晒された白い首筋に、噛み付くように口付ける熱い唇。
 その後うなじを這う真っ赤な舌先は、まるで爬虫類のようで艶めかしく蠢いた。短く切った黒い髪とその肌の白さが対照的で、色鮮やかな痕が、まるで花弁のように肌を彩る。
 苦しそうなうめき声に混ざる確かな歓喜の声。
 腰を高くあげさせ、ベッドには背中の一部しかついていない。胸まで上げられた膝は、動くたびに揺れた。
 潤滑用のオイルが体温で溶け出し、酷く淫猥な音を立てながら背中まで伝っていく。

 は、と短い吐息が零れた。

 ベッドに押し付けられた手首。
 その手を掴む指に力が篭り、ウォルフガングは僅かに顔を顰めると息を吐く。
「随分と慣れたものだね」
 音を立ててウォルフガングの身体の中を埋めていたものを引きずり出し、内側の感触を確かめるかのように、代わりに指を挿れる。その行為はたった今中で放たれたばかりの子種を弄んでいるかのようにも見えた。
 掻き出すように動かされる指と、じわりと溢れてくる感触にウォルフガングは僅かに呻いた。
「否定も肯定もしない、か。以前の君なら即否定していたところだが」
 心境の変化かね、と優しく微笑む大公はなんら普段と変わらない。
 ウォルフガングは静かに首を横に振った。
「まだ仕事が残っていますので、これで」
 呼吸を整え立ち上がり、椅子にかけてあった服を身に纏う。ベッドにいる主に一礼すると、立てかけてあった剣を取り、無言で背を向けた。
「ああ、ウォルフガング。声は我慢しなくても、外には響かないよ」
 ぴくりと動いたウォルフガングの肩。
 エルドナーシュの嘲笑うかのような声が突き刺さった。



 執務室に戻ると、フェリモシエルが驚いた表情でウォルフガングを見た。
「どうした」
「い、いえ、すみません。こんな早く戻ってくるなんて思ってなくて」
 正直なエルヴァーンの青年に苦笑いを隠せない。
 彼は知っているのだろうか、自分が執務中に無様に組み敷かれていることを。
 寝室に呼び出されている時点で、察しのいいものなら気づくだろう、が。
「隊長、鏡」
「鏡?」
「鏡見て来てください」
 怪訝な顔でフェリモシエルを見ると、彼はさっさと視線をそらし、俯いて黙った。仕方なくウォルフガングは執務室を出ると男性用のトイレに駆け込む。何か顔についているのか、恐る恐る鏡を覗き込んだ。
 鏡に映った自分の姿。
 飾り気のない黒い髪、内勤になってから殆ど外にも出ないせいで日に焼けない白い肌。
 興奮していたことがありありと分かる、真っ赤な唇。
 そして、拭いきれなかった涙の跡。
「くそっ」
 鏡に手を伸ばし自分の輪郭をなぞった。
 そこに映っているのはどこから見ても若いと言われる年齢を過ぎた、ただの男だ。実年齢よりも若く見られるのは顔立ちのせいと分かってはいるが、そこに魅力など、ましてや性的なものなどどこにもない。
 女性に飽きたのなら、冒険者でもなんでももっと若く美しい男がいるだろう。言えばすぐにでも見繕って来るのに。了承するかは分からないが、こう見えても当てはあるのだ。
「何故、おれなのだ」
 一度きりだと思っていた秘め事。
 だが翌日手を引かれ柱の影で口付けられたことで次があることを知った。もう、何度抱かれたか分からない。数えていた回数も、とうにやめた。数えたところで惨めになるのはわかりきっていたのに。
 鏡に映る自分を見つめ、目を閉じた。
 幼なじみの、友人に対するものではない感情に気づいてから距離を置くようになった。長く一緒にいすぎたから、お前は勘違いしているんだ、と、そう言った。お前は、友情と愛情をはき違えているのだと。
 だのに、今思い出すのはお前の事ばかりだ、モンブロー。
 勘違いしていたのは自分自身。
 はき違えていたのはおれ。
 あの時、唇を寄せてきた幼なじみを突き放さなければ、こんな惨めな気分にはならなかっただろうか。
 少しだけと思ってとった距離は、長い時間を掛けてジュノブリッジに並ぶほど遠く離れてしまったように思う。ただただ真っ直ぐに駆け抜けてきたジュノブリッジなのに、景色は遠く霞んで、何処まで走ってもお前の元にたどり着けそうにない。
 こみ上げた涙を拭う。
 蛇口をひねって冷たい水を、まるで浴びるように顔を洗った。
 全て流れてしまえ。
 これは仕事だ。大公を満足させるのも、自分の仕事なのだ。
 さらに酷くなった顔を鏡で確認してため息をつく。暫く、執務室には戻れそうにもなかった。
「気分でも悪いのかい、ウォルフガング」
 突然そう囁くような低い声が響く。
 鏡に映るのは扉を開けて洗面所に入ってくる大公の姿。その表情は先ほどと何も変わらない。後ろ手に扉を閉めると、カチリと鍵の掛かる音がした。
「大丈夫です、すぐ仕事に戻ります、か、ら」
 背後から身体を押しつけられ、ウォルフガングは目の前の鏡に手をついて身体を支える。その格好はまるで尻だけを突き出しているようで落ち着かない。じわりと、嫌な汗が噴き出した。
「だめ、です。こんなところでは」
 そっと腰を撫でる手の感触に、慌てて上半身をひねる。
 大公の手がその腰を掴んで、軽く壁を小突いた。
「ここの壁は、割と薄くてね」
 そう言うと先ほどまで大公を受け入れていた場所を、服の上から強引に押さえられる。喉が鳴った。
「私の寝室とは違って、声は外に漏れるよ」
 囁かれる言葉は、半分も耳に入ってこない。
 服ごと、指を押し込められる気配に身体が強ばった。
「鏡に手をついてもいいから、頭を下げなさい」
 言われたとおりにする。しなくてはならない。
 仕事だから。これも仕事なのだから。
「いい子だ。声はいつものように、ね」
 あっさりと服の裾をめくられ、下衣を乱暴に膝まで下げられた。
 こじ開けてくる指に、遠慮がない。これは本気だ。
 洗面台の上に僅かに押し上げられるような格好で、未だしっとりと濡れた尻に大公自身を受け入れる。呻き声を漏らした口を、大公の長い指が塞いだ。
 凍るように冷たい、指だった。
 押し入られる感触と、内側から浸食される感覚に頭を振った。
 目を開ければ目の前の鏡に映る、卑しい自分の表情。
 苦しさの中に、微かな情欲の色をたたえて。
 見たくない。
 もう一度目を閉じたところで一気に押し込まれ、思わず鏡に頬を押しつけた。
「ひ、ぅ」
 太ももを押し上げられ、洗面台に片膝を乗せる。
 狭い洗面所の中で、浸食されていく。
「なぜ、私、なのですか」
 疑問を口に出した。
 答えなどないと、わかりきっているのに。
 突き上げてくる律動に、声を押し殺した。
 鏡は惨めな自分自身をありのままに映す。
「上層の彼を思って噎び泣く君を愛しいと思った」
「泣いてなど」
 そう言いかけて、大公の指が頬を濡らす涙に触れた。
 違う、これは違うのだと、言えなかった。
「他人のものほど、奪いたくなるものだよ」
 耳元で囁かれ、うなじに口付けられる。
「私は、誰のものでも」
 むしろ、あなたのものだというのに。
 酷くゆっくりとした腰の動きが余計な思考を巡らす時間を与える。自分が誰のものかを考える時間を。

 やがて耳の後ろで小さく息を飲む音が聞こえた。
 体内に広がっていく熱をどうしていいか分からずに、ただじっと鏡に映る自分を押さえつける。息を吐くと、ゆるゆると太ももの内側を伝っていく感触がした。
 大公の身体が僅かに離れると、まるで身体を繋ぎ止めていた楔がなくなったかのように身体は簡単に崩れ、床に腰を落とす。
「後始末はゆっくりしなさい、他の者には気分が優れないとでも私から言っておいてあげるから」
「お気遣い、感謝します」
 抑揚のない声。
 事務的な感謝の言葉を並べた上辺だけの単語の羅列。

 疲れてしまったんだ、モンブロー。
 昔のように、調子が悪いんだ、とお前のところを尋ねることさえ出来ないおれを許してくれ。
 あの日お前を欺いたおれを許してくれ。

 それを後悔し続けるおれを。


 おれの脆弱な心を、許してくれ。