Gift【うい様/D-d.d

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 新しい食べ物が見つかったと聞いて、俺は心を躍らせて20年前のパシュハウへと向かった。
 青魔道士にとって、取り込む魔の力は自分の器以下でなければならない。当然魔の力を利用するのだから、自らが魔に飲まれるような事があってはならないわけで。青魔道士たるもの食べられそうなもはつい口に入れてしまう傾向があるとはいえ、これは無理かな、と思うものも多々いる。それでも自分の力となり得るなら、と吐き気を我慢しながら食べたものも少なくはない。
 だけどパシュハウで俺を待っていたものは、思わずあれを喰うのかと口に出してしまうほどの物体だった。最初に食べようと思った青魔道士は余程の下手物食いなのだろう。帰りたくなってきた。
 目の前にいるのは、間違いなく、軟体動物。てらてらとぬめった赤黒い体表が気持ち悪く、間違いなく食感はプリンやゼリーとは程遠いだろう。
 ゆっくりとその気色悪い獲物に手を伸ばすと返事でもするように、触覚らしき部分がぐにゃりとこちらを向いた。
 これを見て食欲を掻き立てられる人間がいるというのなら、是非ともお目にかかりたいものだ。
 だから純粋に食べたい、と思うには至らなくて、けれど食欲とは別に、好奇心だとか探究心だとかいうものになって、内なる魔が俺の手を再び持ち上げさせる。
 普通の食事の味、それとは少し違う。でも美味い不味いというのは確実に存在して、言うなれば舌だけでなく臓腑でも味わうといったところだろうか。そう考えても、どこをどう取ったところで、美味しそうに見える筈もない。
 でもそれは所詮、人としての感覚。魔を喰らう青魔道士なら話は別だ。1度拳をつくってから、改めて手を伸ばした。
 そのグロテスクな表面を指先が撫でるか、というところでその物体は噛み付くように───何処にも口らしき場所は見あたらないのに、俺の腕に飛びかかってきた。しまった、と思う間もなく、獲物に絡められた腕はねばねばとした粘液でまみれて、突き刺すような痛みに襲われる。
 酸、だ。それも極めて凶悪な。
「ア、ぁ、」
 痛みに慌てて腕を払うも、手袋に付いていたはずの金属が音を立てて腐食していくのが分かってぞっとした。
 こんなもの、食べるのか。俺には無理だ。
 だけどその獲物は逃げようとした俺を見透かすように足下にねばつく分泌物を振りまく。足を取られみっともなく躓いてしまった。
 起き上がらなくては。そう必死になっているうちにも、ずるずると濡れた着物でも引き摺るような音と、這い蹲ってしまえばやけに大きく感じる影は近付いてくる。喰らうとか喰らわないとかいう話じゃない。この状況はまずい。
 なのに先ほど振り撒かれた分泌物と、元からの足場の悪さに、痛む手と、粘つく液体と泥に捕らわれた足では這う事もままならない。あののったりと重そうな体に圧し掛かられただけでも……それも妙な液体を垂れ流されながらでは、堪ったものではない。
 一か八か。
 逃げるのを諦め、曲刀に手をかける。一撃で降参してはくれないだろうが、隙さえつくれれば、そこに魔法を叩き込んで……
「っひ」
 距離は、まだある筈だった。
 振り向き様抜刀するつもりが、またしても妨害された。
 今度も粘り気のある分泌液に襲われ、まともに片目に食らい、意識が緩んだ。纏わりつくような液体に、剣を体の上に落としてしまう。刀身がある程度長いので、それによって突き刺さるような事はなかったが、ぬるつく手では取り落とした剣も上手く拾えない。
 起き上がる、剣を拾う、目元を拭う。どれを優先すべきか、一瞬の迷いが生じた。
 起きるのはさっき諦めた、剣は不自由な手で更に手探りだ、それなら目……瞬時に考えたつもりで、痛みのない方の手で、急いで目を擦る。
「……っ」
 その時、やっと気付いた。
 触れた手のひらは、素手だった。
 何とかものを識別出来るようになった目で、手のひら、腕、肩、そうやって視界に入れていくと、自分が何を食らったのか、漸く認識した。
 まるで水に浸された薄紙のように、肌の上で皮の手袋が、蒼い装束が、溶けていく。
 情報を何も持っていなかったわけではないが、どうやら俺は甘く考えていたらしい。そうでなければ、見た目に気を取られでもしたか。
 このままじゃ、俺が、喰われる。
「ぁ……っう」
 次々と抗う手段を奪われているうちに、足に重みを感じた。半ば沼地に埋まるように、半ば飲み込まれるように、気色の悪い軟体動物が迫っている。
 大きさを考えたら、押し潰される事はないにしろ、あの分泌物は厄介だ。そして何より……
 気持ちが、悪い。
「来る、な……ッ」
 叫んでみても、当然聞き入れられるわけなどない。ゆっくりとした速度で、もう膝まで埋まっている。その重みで、ますます身動きが取れない。
 溶け落ちた装備の代わりに、気付けば剥き出しの腕は泥だらけだった。泥の上で足掻くその感触も気持ちが悪い。湿っぽい苔の匂いすら気持ちが悪い。露になっているであろう背中に、直接触れる粘つく何かも、とにかくどれもこれも、気持ちが悪くてどうしようもない。
 来るな来るな来るな。
「っ!」
 また、どろりとしたものが降ってくる。最初に食らった時を除けば、痛みを伴う事はなかったものの、溶け落ちていく装備を見ていれば、いつかこの身も溶かされてしまうのではと恐怖する。
 そんな俺に構う事もなく、それを吐き出して身軽になったとでも言うのか、そいつはずるりと、一気に尻まで這い上がってきた。
「…ッア……っ!?」
 感じたのは、重みだけではない。撫でたくもないが、あの柔らかな表皮だけでもない。それよりもっと、人工的な硬さのあるものが、脚の付け根に押し当てられた。
「ぃ…っあ、ゃ……」
 這い出そうとしても、既に体の半分を押さえ込まれていては、敵う筈はなかった。それでも何とか抜け出そうと身じろいで、でも動けなくて、俺の上に乗り上げたそいつは、嘲笑うように緩慢に揺れる。
 その、硬い何かが。
「…め……っだ、め…っ」
 ぐいぐいと押し付けられ、体同様ぬるついた何かが、そこに触れる。やめろ、嫌だ、やめてくれ。
 じっとりとした空気と、その状況が、いつかの出来事を思い出させる。あの時も、食事にしてやるつもりが、餌食にされた。獰猛なノールの爪で甚振られ、それから……
 だけどこいつに、ノールほどの知能があるとも思えない。大体硬い爪も尖った牙も持っていない。柔軟でグロテスクな皮膚を持っただけの、粘膜に覆われた生き物。じゃあこれは一体。
「アアァッ……!」
 内部まで濡らされていなくても、窪みに押し当てられたぬるつく硬いものは、遂に体に割り込んできた。尚もだらだらと分泌物を垂らすそいつは、また遅いペースで俺を覆っていく。
 その動きに合わせて。
 内臓が、掻き回される。今度こそ余りの気持ち悪さに吐きそうだ。なのに吐く事も出来ず、息苦しさと気持ちの悪さだけが体内で増幅していく。
 中で、何かが揺れる。突き入れられた、何か。だから、何なんだよ、もう────
「…っう、ぁ」
 嗚咽のような悲鳴をあげながら、無意識に頭を振る。不意に、きらりと光るものが目に映った。
 どうやらそれは、装飾の飾りボタンか何かのようだ。よく見れば、似たようなものが幾つか見えた。何もかも溶かされてしまったわけではないらしい。
 ……それじゃ、もしかして。
「んんっ……!」
 思い当たる節に行き着くのと、そこの中でも取り分け敏感な箇所を、無遠慮に抉られたのは、ほぼ同時だった。
 俺を貫くものの、正体が分かった。
 あの曲刀だ。
 質量を考えても、跡形もないほどには溶けていないだろう。柄を腰の上に落としたところまでは分かっていたが、何だって、よりによって……そんなものに、犯されなくてはならないんだ。それもこんな場所で、こんなものに圧し掛かられて。
「いっ……っ!」
 外傷は殆どない。重みと粘つく分泌物で息苦しくはあるが、今すぐ死んでしまいそうというわけでもない。今日喰らう筈だった獲物に圧し掛かられ、その下では自身の曲刀を咥え込んで、俺は何をやっているんだ。無様に逃げようとしたせいで、脚は開かれていたから、刀身で傷はつくらずに済みそうだなんて、そんな事を考えて、馬鹿じゃなかろうか。
 勝ち目のない戦いを挑んで、ぼろぼろにされて、何も学ばなかったなんて、本当に、もう。
「ぁ…ふ、ぁ……」
 涙なのか涎なのか、それとも分泌物なのか、或いは泥なのか、どれだか分からないもので顔がぐちゃぐちゃだ。
 気付かなければいいのに、即座に死すら見せてくれない現実と、ゆるゆると穿たれるそれと、体の前面ごと、一緒に泥に埋まって捏ねられる性器と、垂れ流される粘つく分泌液に、曖昧な疼きを覚えてしまう。忌まわしい器だ。
 局部が見えないとは言え、殆ど裸で這い蹲って、悲鳴とも言い切れないものをあげる俺を、誰かに見られたくはないなんて願望は残っていて、こんな時なのに、今更過ぎて少し笑えた。
 勝手に込み上げた笑いが、諦める事を唆す。
 そのうち頭まで覆われれば、窒息死でもするだろうか。その時は、完全に溶かされてなくなってしまうといい。誰にも気付かれずに。
 それなのに。
 頭の中では繰り返してしまう。
 助けて、と。

/Onslaught

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